イベント報告

小島陣屋(2018/1/27)

2018/1/27に小島陣屋見学会が行われた。
今回の見学会は小島陣屋跡を中心に、江尻城跡、清水城を見学するバスツアーである。
集合場所の東京駅鍛冶橋駐車場を予定通り8:30に出発し、新東名清水インターチェンジを目指した。

足柄PAにて

バス内では、西ヶ谷代表から今日の見学地についての歴史を、レジュメをもとに古文書などを交えながらレクチャーを受けた。清水ICを降り出発からおよそ3時間弱で見学地付近に到着、小島町文化財を守る会の方と落ち合って見学がスタートした。

小島陣屋御殿書院を見学

はじめに陣屋跡にあった御殿の書院を見学した。
昭和3年に地元に払い下げられ、この地に移築、しばらくの間は地元の公会堂として使われていた(案内板より)。
小島陣屋御殿書院
中に入ると、小島陣屋の推定復元模型、書院の推定復元模型、家紋入りの瓦、小島藩第3代藩主が書いた絵など資料館的な位置付けになっている。陣屋跡を訪れる前に立ち寄りたい場所である。

滝脇松平家と小島陣屋

小島藩年譜が掲示されていた。それをもとに小島陣屋について軽く触れると、

  • 家康の5代前松平親忠の子9男の乗清が滝脇松平氏初代、三河滝脇城主。
  • 3代清房の時代から代々家康に仕え、1549年三河から関東へ移封
  • 6代の重信の時代、1656年知行地を関東から駿河国に移され、駿府城代
  • 7代信孝の時代、1689年駿河国内の5000石に加え武蔵、上野国内に5000石の加増を受け、所領1万石の大名となる
  • 8代信治の時代、1698年に武蔵、上野国内領地が、駿河国小島村含めた領地に移され、小島藩を立藩。ただし、二万石以下の無城主格であったため、1704年、小島村に陣屋を構築。

小島陣屋跡へ

書院跡から徒歩で15分程度の場所に小島陣屋跡はある。
最初は馬場跡となる。ここで馬を降りて表門へ入っていったのであろう。いきなり高台の上の方に石垣が見えてきて、この後の展開を期待させる。馬場跡をさらにすすむと、枡形表門になる。写っている人と比較して石垣の高さは約2m超位か。

小島陣屋陣屋馬場跡

陣屋馬場跡

小島陣屋枡形表門

枡形表門跡

表門をすぎ、数段の石垣を横に見ながら階段を登っていくと、城下と陣屋の平坦地を見渡せる一帯に到着する。

石垣を横に見ながら階段を登る

城下を見ながら小島町文化財を守る会の方の説明を聞く参加者

下写真の石垣は、他の石垣と比べると高さがあり約3〜4m位、櫓でも建っていたのだろうか。

陣屋の中央部が見えてきた 。さらにすすむ。

陣屋中央部到着。この場所が一番広い平坦地となっていて、主要な殿舎が建っていたことをうかがわせる。

陣屋の東側の井戸跡と裏門跡。

小島陣屋井戸跡付近

井戸跡付近

小島陣屋裏門跡付近

裏門跡付近

約1時間程度の見学となったが、一同満足して陣屋をあとにした。
石垣好きの方にはぜひ見て欲しい場所と感じた。

小島藩主ゆかりの龍津寺

次に、小島藩主の庇護を受けたという創建1546年の龍津寺に立ち寄り、お茶をごちそうになりながら、ご住職から寺の歴史や藩主に関するお話などを聞いた。また、寺の裏手には、3代藩主の昌信の墓がありそちらを見学後、案内してくださった小島町文化財を守る会の方とご住職にお別れし、次の目的地、江尻城跡に移動した。

江尻城跡

江尻城は、武田信玄が駿河に攻め入り、北条、徳川と対峙するために築いた城で、武田水軍の居城としても知られている。武田秀頼時代に、穴山梅雪が城を改築して天守櫓や城下町を持つ本格的な城とした。町名などに城があったという痕跡を残すのみで遺構は残っていない。

江尻城跡案内板

江尻城跡案内板

現在、江尻城本丸跡には江尻小学校がたっている。屋上に丸いタンクが見えるが、その方向に天守櫓があったと言われる。

江尻城本丸跡に立つ江尻小学校

江尻城本丸跡に立つ江尻小学校

江尻城は巴川の蛇行を利用して築城された。下の写真は、付近を流れる現在の巴川と魚町稲荷神社。魚町稲荷神社は、サッカーチーム清水エスパルスが毎年年頭に必勝祈願に来る事で知られている(神社の人が次の日がその日と言っていた)。昔はこの神社付近辺りまで巴川の蛇行部分となっており、下の巴川の写真のカメラを構えたあたりも当時は川の一部であった。

江尻城跡を流れる巴川

巴川

江尻城跡付近の魚町稲荷神社

魚町稲荷神社。サッカーボールの石物が左に見える。

次の見学地は、本来は清水城跡あったが、近くまで移動してみるとバスの停車スペースがなく、急遽別の見学地、清見寺へ変更となった。ちなみに清水城は遺構は全く残っていない。

清見寺

清見寺は、臨済宗妙心寺流の寺である。
東北の蝦夷に備えた関所鎮守がはじまりで、鎌倉時代には梶原景時が乱を起こし西国へ移動する際、この付近で襲撃を受けたと言われる。場所的に山、海など自然の要害となっていたことから、戦国期には武田信玄が駿河に攻め入ったときの今川氏の陣になったり、徳川家康が甲州攻めの時に軍を置いたり、豊臣秀吉が小田原攻めの時に一時的に本営をおいたりと何かと興味深い寺である。

清見寺

山門

清見寺にある梶原長時合戦時の血痕がついた清見関の古材を使用したといわれる血天井の間

梶原長時合戦時の血痕がついた清見関の古材を使用したといわれる血天井の間

清見寺の戸時代の初期、山本道斉の築庭と言われる庭園

江戸時代の初期、山本道斉の築庭と言われる庭園

以上、小島陣屋見学会レポートでした。
お読み頂きありがとうございます。つたない文章、内容で恐縮ですが、これからも、見学会の様子がわかるようにレポートを書いていきますので、見学会ご参加の一つのきっかけになれば幸いです。
皆様のご参加をお待ちしております。お気軽にお申込みください。

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参考:
・日本城郭大系9巻 昭和54年6月刊
・江尻城縄張図 調査・作図水野茂 平成22年5月4日
・東海名区巨鼇山清見寺畧記 巨鼇山清見寺

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